交流射会に寄せて
弓道部顧問 皆川 勝
(昭和50年入部 土木工学科)
東京都市大学工学部都市工学科教授

新しい100年の初めの年である2001年にはじまった交流射会は、今年で12回目を迎えます。米山先生,加藤先輩(コーチ)の体制のもとで始まったこの会は、加藤監督ならびに二見コーチの体制でも引き継がれ、卒業生の皆さんも楽しみにしておられたのではないかと思います。
2011年3月11日に起きた東日本大震災からすでに1年5か月が過ぎました。私は、この8月9日から10日に、研究室の学生と共に仙台、石巻、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸を訪れてきました。私自身にとっては3回目の被災地訪問となりました。いずれの地でも、瓦礫は集積されて、住宅地は家の基礎のみを残し、その上を雑草が覆っています(写真は南三陸町)。遠くからの眺めは、まるで緑地公園のようですが、そこはすべて被災し、多くの方々が命を落とされた場所、そこで人々が生活を営んでいた場所です。はじめのうちは遠足気分の者もいた学生たちは、自分たちの立つ場所がどういう場所かを考えて、それに衝撃を受け、言葉をなくしていました。数百年に一度といわれる大災害により多くの方の命が奪われ、未だ多くの不明者の捜索が続けられている。家族を失い、家を失い、職を失い、仮設住宅での不便な生活を強いられ、未だ未来への希望の火が見えない状況で、被災地でお会いした方々はそれでも明るく、「頑張るしかないね」と静かな笑顔で語られました。「そんなに頑張らないでください」ということばを呑み込み、一礼を返すのがやっとでした。
人間は一度だけの人生をどのように過ごすべきなのでしょうか。最近聞いたある歌の一節に、「明日の私はそれほど変われないとしても、一歩ずつ、与えられる人から、与える人に変わってゆけたなら・・・」とありました。加藤監督が果敢に病に立ち向かっています。現役の人たちは学生としてあるいは弓道部員として、そしてOBは社会人としてあるいは弓道部OBとして何ができるのかを、これを機会に改めて考えてみようではありませんか。